あ ま や ど り 〔伍・中浜家の落人〕 |
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高い金属音と共に、獣道の上空に剣先が閃く。 かたん、と乾いた音がして、武士の手から長脇差が離れる。 反動で、男は仰向けに倒れ込んだ。 その、目の前には、紅の単衣を着て両手に小太刀を握った若い娘が立ちはだかっていた。 男は、僅かに不安げに顔を歪めて、そして、目を閉じた。 「俺の、負けだ。……斬れ」 岩丸は薄く呼吸をして、時が経つのを待った。 キュウは、目の前に横たわる岩丸を見下ろしていた。 寄せていた眉を、緩める。 岩丸は、暫く経っても気配が動かないので、うっすらと目蓋を上げた。 キュウは、握った小太刀を腰に納め、彼の脇に背を向けて腰を下ろしていた。 岩丸は、驚いた面持ちで口を開きかけたが、直ぐに止めた。 そして、少し身体を起こして、聞いた。 「おキュウさんも、『そうだった』って……。どういう意味だ?」 刃を交える前に、不意にキュウが漏らした言葉を、岩丸は思い起こしていた。 岩丸は、空を仰いでいる。 キュウは、岩丸に背を向けたまま、口を開いた。 「……あんたは、十年前、ここの山中で行なわれた戦の話を知っているか」 「十年前……、って云うと、中浜家の落人のことか」 キュウは、僅かに俯くように眼を伏せて話し出した。 「中浜と木國の戦だ。結果は、ほぼ相討ちになったんだがな……。その戦に、中浜は一人娘を連れてきていた。まだ、六つになったばかりの侑美姫だ」 ……『ユミ』。 岩丸は、そのままの姿勢で、じっと耳を傾けていた。 「中浜には世継ぎがいなくてな。でも、姫を人質みたいに家から出すことを必死で拒んでいたんだ。……でも、戦で中浜は散った。その時姫は、おなごだということで木國の手に掛かることはなく、この麓の里にある寺に預けられたんだ」 淡々とした声で、キュウは続ける。 「でも。数年後、寺に木國の捜索が入った。当時の中浜には、『姫』なんかいなかったと云う噂が一部で流れていたからだ。だが、既に寺には、戦の後預けられた筈の中浜の者はいなかった」 言葉を重ねる。 「姫は行方知れず……。それから、中浜家の落人話は、オハナシとして語られるだけになった」 一端、言葉を切る。 岩丸が、もう少し身体起こした。 再度、背を向けたままのキュウが口を開いた。 「でも、数年後。この山中には街道を行く武士たちを襲う、娘姿の追剥が現れるようになったんだ」 そう云って、キュウは腰を上げて振り返った。 その顔は、悪戯に笑みを浮かべている。 岩丸は眼を丸くして、立ち上がったキュウを見上げた。 「おキュウさん……、いや、お前さんが、中浜の侑美姫……」 返事の代わりに、キュウは微笑んでみせる。 「それに、まだこの話には裏があるんだよ」 不可解な顔をする岩丸に、キュウは眼を細めて云った。 「噂通り、中浜に『姫』なんて居なかったのさ。俺は、男だからな」 「な……ッ」 思わず声が漏れる。 ……声が割れていたのは、熱が染ったからじゃ、なかったのか。 更に目を剥いて絶句する岩丸を後目に、キュウは表情を引き締めた。 「ホントなら、仇討ちを果たす筈の子息だ。でも、俺はこんな山ン中で、通行人相手に追剥なんかして過ごしてるんだ」 「……なんで。武士の子息でありながら、意趣返しをしようと思わなかったんだ、」 岩丸が、素直に問う。 キュウは少し眼を伏せて云った。 「俺は、生まれたときから、『姫』として育てられてきた。それは、勢力が衰えてきた中浜が朽ちたときに、意趣返しを恐れた相手方に殺されない為にだ。俺は、そんな父上の意志に答えただけだ。……もう、武士の道に戻る気もない」 岩丸は無言で、かつての侑美姫を見ていた。 「……あの童は、当時の俺と同じ眸をしていた。それに、里の寺に行けば、俺と同じ、武士道から外れた人生を送れるさ、」 キュウは、土に汚れた単衣の裾を払った。 そして、岩丸を見る。 「……俺は、どうすればいい、」 「そんなこたぁ、知らねぇよ。でも、その態じゃあ、帰れねぇよな。……この峠の先の村へ、落ちたらどうだ、」 岩丸は、そう軽く云うキュウを暫く見ていた。 失踪した侑美姫の、その黒い眸の奥に、答えを見いだすように。 不意に、娘の姿をした少年が、口を開いた。 「俺はさ、いつも思ってるんだ。戻らなきゃならない『道』なんて、無いんだ、ってな」 岩丸が、顔を上げる。 「雨が降ってきたら、雨宿りをすればいいじゃないか。……俺はいつだって、難が脇を通り過ぎるのを待って、歩いてきた。『逃げ』は、…弱さじゃないさ」 キュウは優しい表情を向けていた。 その顔に、弱さ、は感じられない。 岩丸は、立ち上がった。 「……俺、この先に落ちることにするよ」 「それがいいさー」 いかにも他人事、といった軽い調子で、キュウが云う。 獣道から少し逸れたところにある街道に出て、峠の反対側に向かって岩丸は歩いていた。 無理をして戦った所為で、竹竿に頼っていた脚が、さらに酷くなって足元が覚束ない。 長脇差を土に差して、ゆっくりと歩く岩丸に合わせて、キュウは彼の隣に並んだ。 「……で、お前の小屋は反対だろ。なんで付いて来んだよ?」 岩丸が、怪訝な顔をしてキュウの顔を覗き込む。 キュウは、楽しそうな顔で岩丸を見た。 「そりゃあんた、そんな脚で村まで持つと思うか? この先は俺の縄張り外だし、夜盗に襲われても、その身体じゃ太刀打ちできないだろ」 「う……、」 尤もなことを突かれ、岩丸は返す言葉もない。 キュウは軽い足取りで岩丸を少し抜かして、振り返る。 そして、にやりと笑って云った。 「堅ぇ事云うなよ。それに、旅には『華』が在った方がいいだろ」 思わず、岩丸が咳き込む。 「ハナァ? お前は、野郎じゃねぇか」 今となっては、ざらついたキュウの声が耳に触る。女装している割りに、口調は汚いところが、また妙だ。 天には、満の月が浮かんでいて、僅かに夜道を照らしていた。 夜が明けるまでは、まだ刻がある。 片足を負傷した武士と、娘の態をした少年は、小屋とは反対側の峰へ向かって歩いていた。 |
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(C) SAWAMURA HARU 2002.01.25 |