●●● 終止符 ‖ 後 翌日、哲生を廊下で見かけた実佳は、明るく声をかけた。 目が合ったのは確かだ。 しかし、彼は彼女を無視して側を通り過ぎた。 「なんなのよ、あいつ……」 実佳がむっとして声に出しても、哲生は振り返らない。 「どうしたの、実佳」 一緒に居た友人が、実佳を覗き込む。 ふと開けかけた口を実佳は慌てて閉じた。 「なんでもない」 とだけ言って、その場はすぎた。 しかし。 夕方、昨日と同じぐらいの時刻に、実佳の携帯電話が鳴った。 着信表示は、川崎哲生。 「何、」 実佳が怒ったような声で取ると、すぐに哲生の声が返ってきた。 「今、実佳ちゃんの家の近くに居るんだ。ちょっと降りてきてよ」 実佳が慌てて上着を着て階段を降りると、玄関から少し離れたところに同じ学校の制服を着た少年が立っていた。 「あんたね、あたしを何だと思ってるのよ、」 「そう固いこと言わないでよ。ちょっと家の近く通ったら、会いたくなっちゃってさ」 学校では無視したくせに。 実佳は哲生を睨んだ。 「で、どうなの。もう吹っ切れた、」 「はい、お陰様で」 哲生が妙にハイな調子で答える。 「嘘つけ。だったら何であたしに会いに来るのよ」 「そりゃそうですよ、そんなにすぐに吹っ切れたら、好きになんてなりませんよ」 そう言いながらも、哲生は笑っていた。 実佳も、つられて表情を崩した。 「なんか、ぱーっと遊びたくない? いろいろ厭なことあったしさ」 哲生が明るく言う。 「もうすぐ期末テストでしょ」 「じゃあ、テスト終わってから」 「何であたしがあんたと一緒に遊びに行かなくちゃいけないのよ」 わざと顔をしかめて、実佳が答えた。 「いいじゃん、ケチ。そうだ、映画観に行こうよ」 「ちょっと、テスト終わったからってあたしは暇だなんて言ってないでしょ」 そんな事を言いながら、哲生は勝手に話を進めていって、この日はあっさりと実佳を家へ帰してくれた。 テストが終わると、解放感でぼんやりとした日を過ごしてしまう。 その日、ふと目覚めて実佳は慌てて家を出た。 そして、何気なく携帯の表示を見ると、メッセージが届いている。 『家の下に居るんだけど。ちょっと降りてきてよ。カワサキ』 日付は昨晩の十一時だった。 テスト週間に入ってからの約二週間、哲生からは何の音沙汰もなかったのに。 実佳は慌てて返事を送った。 だが、彼からの返事は、一日中待っても届かなかった。 今年最後の登校日。終業式の日になった。 あれから、哲生からの連絡は、全くなかった。 実佳も、少し後味は悪いが、きっと失恋の痛手から立ち直って自分を頼る必要がなくなったのだ、と思い、もうメッセージは送らなかった。 それに、学校ですれ違っても、相変わらず挨拶はないし。 「ねえ実佳。この映画知ってる、今話題の」 教室で、友人が実佳に雑誌を見せて言った。 教室中、人のざわめきでいっぱいで、生徒の出入りも多い。 実佳は雑誌に目を落として言った。 「これ、この前見に行ったのよ。やっと」 「そうなの、一緒に行きたかったのにぃ。誰と行ったの、」 友人は残念そうに言うと、実佳に詰め寄った。 「祐一と。ラストは感動的だったよ。ぜひ観てみなよ」 「祐一くんって、私立男子高の?」 疑うような友人の目を見て、すかさず実佳は答えた。 「でも、ただの友達だよ」 実佳は、しらけたように彼女に目を遣る。 「そうだったんだ」 突然、背後から少年の声が聞こえた。 振り替えると、哲生が座っている実佳を見下ろしていた。 「俺、遊ばれてたんだ」 割りに大きな声で言ったその台詞は、周りの者を振り向かせた。 「何言ってるのよ、川崎……」 実佳は周りの様子を見て、呆れて言った。 この教室に下級生がいるだけで、教室の雰囲気はずいぶん異質のものに思えた。 そんな中、哲生は平気でトラブルめいた言葉を口にしたのだ。 「あいつ、バレー部の哲生じゃないか」 誰かが言う。 バレー部で背の低い一年生の哲生は、意外とこの学年でも有名なようだ。 殆どの生徒が、彼の顔を知っていた。 「弥倉さん、もしかして哲生と付き合ってたの?」 隣の席の男子が、弱ったねぇ、と言うような顔で実佳に喋りかける。 それらを無視して、実佳は哲生を睨んだ。 遊ばれてたって? 「それは、こっちの台詞だよ」 実佳は平然と構えた。 都合のいい時に人のこと呼び出しておいて。勝手に誘っておいて、連絡も寄越さずに。そのくせ、学校では無視するくせに。 「俺は、」 哲生は哀しい目をして実佳を見ていた。 「学校でセンパイと話すのが、恥ずかしかったからッ」 隣にいた友人が、小さくうわっと声を出した。 「何よ、それ。せっかく人が話しかけてるのに……」 実佳は低い声で返した。予鈴が鳴り出していた。 哲生についてきた友人達は、ドアを振り返りながら彼の手を引いた。 哲生は、動こうとしない。 教室担当がドアから入り、一年生達を急き立てた。 教室中が、静まり返っていた。 何も知らない教師は、平素と同じ文句を繰り返して使い、今年最後のショートは終わった。 年が明けてからまた学校が始まると、実佳は決め込んで口を結んだ。 もう、絶対に廊下で会っても、クラブであっても、声はかけない。 空気が凍る廊下は、人通りが少なくなっている。 実佳が教室に向かっていると、正面から一人の少年が歩いてきた。 そして、二年生の教室の前ですれ違ったとき、実佳と背の変わらない彼は少し会釈をして、 「おはようございます」 と笑顔で挨拶をした。 << 前 後 |