春風に吹かれ、頭上の木の葉が軽く触れた。
 仰向けに寝転んだ額に、木漏れ日がきらきらと揺れる。
 目を閉じた世界は、心地よい鳥の音と柔らかな草の匂いで包まれていた。
「よっ」
 声と同時に目蓋に影が落ち、彼はそっと眼を開けた。
「収穫は」
「上々」
 丘に登ってきたタクは、寝転んだスースケの顔を覗き込むようにして話しかける。
 スースケは起き上がって胡坐を組み直した。
「何持ってる、」
 彼の横に腰を下ろし、タクがズボンに手を入れる。
 スースケは脇に抱えていた小さな鞄の中から、腕時計とパンとマニキュアを取り出してみせた。
「それ、お前が付けるのか」
 タクが、鮮やかな紅いマニキュアを指して眉を顰めた。
「まさか。配色だよ、デザート」
 スースケは眼を細めて笑ってみせた。
「それよりこの時計、防水加工・磁石付き。いくらだと思う、」
「八万かな。じゃなきゃ五万」
 タクはにべも無く答える。
 スースケはそれには応じず聞き返した。
「タクは、何持ってるの」
 僅かな微少。
 その言葉を待っていたかのように、タクはズボンの中に入れた手を取り出した。
 手に握られているのは、美しいプリズムを織りなす、掌いっぱいの石。
「それ、ダイヤじゃないのか!」
 スースケは思わず叫んだ。
「五百カラットは下らないだろう、それ」
 彼は、全身から冷や汗が滲むのを感じた。
「ただのガラスさ」
 そんなスースケを横目で眺めながら、タクは悠長な態度で言った。
 スースケはごくん、と唾を飲み込んだ。
「どこでヤったの、」
 彼の問いに、タクは軽く微笑み返しただけだった。
 スースケは、呆然とタクの手中の石を凝視していた。
 そんな彼を知ってか否か、タクはその場に横になった。
 そして、ポケットから柄の無い剃刀の刃を取り出して、眼前の天に掲げるようにして腕を伸ばした。
「これで」
 タクが、様子を見るように一息置く。
「手首の上を引いたら、どうなると思う?」
 スースケは答えなかった。
 タクはいつもそうだ。
 いつも、本気か冗談か分からないような顔をする。
 それは、きっと誰にも見抜けない。
 タク自身にも、見抜けていないのだろう。
「そうなる前にサ、」
 タクがいつもの調子で言った。
「何か大きな事をやろうぜ」
 明るい、それでいて静かな声。
 スースケも、彼の隣に並んで仰向けになった。
 頬を撫でる柔らかな風が、心地よかった。
「銀行でもヤりますか」
 スースケが、にかっと笑う。
「どーせヤるなら、総理邸にしようぜ」
「殺人? それは犯罪デショ」
 二人は眼を合わせて冷笑し合った。
 しばらくして、タクが天を仰ぐ。
「その後さぁ」
 スースケも、倣って視線を上げた。
 頭上の大樹を見上げる。『彼女』は、両手を広げてその影で二人を包み込んでいた。
「これを、試してみるんだ」
 タクは、剃刀の握られた手を眼前に置いた。
「恐いか?」
「まさか」
 スースケが軽く躱す。
 タクは、死を望んでいたわけでは無い。
 それは、スースケだって同じだ。
 唯、それを試したら世界がどう変わるかを、想像するのが面倒臭かっただけだ。
 春の香りとそよ風に包まれて、二人は安堵の鼓動を打った。
 それに合わせて、スースケは目を閉じる。
 目蓋の上で、光の粒子が踊った。
 そして、彼は小さく呼吸をし、泡沫の夢を探った。




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