に、りがとう





 ねぇ、気付いてる?


 こんな平凡な毎日に見える今日も、
 君のお陰でどきどきする一日になれる。

 同じことの繰り返しの日々の中にも、
 小さな幸せと
 小さな発見を見つけることが出来る。
 
 僕達の生まれてきた意味って、
 僕達の生きる意味って、

 なんだか判らなくなってしまって、
 くだらなさに埋もれてしまった生活の中でも、
 きっと。

 君といるだけで、
 君がいるだけで、
 生きていてもいいかなって思える。

 でもそれは、君にとっても
 同じことなんだよね。
 僕が今ここにいる意味なんて、
 それで充分。

 難しいことなんて、何も考えなくていい。

 「イイコト」なんてしなくたって、
 大勢のヒトに好かれなくたって、
 君はここにいてもいいんだよ。

 普通に暮らしていることが、
 日常のちょっとした動作が、
 たいせつ。

 ねぇ、気付いてる?

 今までここに居てくれて、
 今まで生きていてくれた、
 君に、「ありがとう」を言いたい。

 今までここに居てくれて、
 今まで生きていてくれた、
 僕に、「ありがとう」を言いたいよ。






 俺は、どうやら女運が無いらしい。
「ごめんなさい、あたし、陸郎と付き合っていく自信が無いの……」
 いつも、今度はいける、と思っていても、結局は長続きしない。
「付き合っていく自信って……?どういうことだよ、リカちゃん、」
 自分では、何も悪いことをしていないつもりなのに。
「あたしじゃ、陸郎には合わないわよ……。だってあたし、かわいくないし、自分に自信ないもの」
 今までと、変わりないはずなのに。
「なに言ってるんだよ。俺が、リカちゃんの事スキなんだよ。合わない、なんてリカちゃんの言う科白じゃないだろ。……それとも、俺のこと、嫌いになった?」
 何で毎回、こうなってしまうのだろう。
「違うわ、それは違う。陸郎の事は大好きよ。でも……だから、あたしたち、付き合わないほうがいいと思うの」
 俺の、どこが悪かったのだろう。
「好きなのに、何で……、」
 結局、その答えを誰も出してくれない。
 何が不味かったのかを誰も語ってくれないまま、いつも誰もが俺の前から消えていく。

 高校に入ってから、約半年間。
 付き合った女はみんな、始まりが俺にしろ、相手にしろ、結局は彼女の方から離れていった。
 しぶとくしているつもりもないし、行き過ぎたことをしたわけでもない。
 ただ、普通に過ごしてきただけなのに。

 その度に、もう二度と恋なんてしないと誓った。
 でもしばらくすると、いつも隣に誰かがいて。
 結局、同じ後悔を繰り返してきただけ。

 このままでは俺は、人間不信になりそうだ。


「あ、雨」
 朝から、降りそうで降っていない天気が続いていたが、ついに空からぽつぽつと雫が落ちてきた。
 声のした方を振り向くと、俺と同じぐらいの背丈の女が傘をかざして立っていた。
「陸ちゃん、そんな所で座り込んでると風邪ひくよ」
「……彩佳センパイ」
 見覚えのある顔に、俺は慌てて手にしていた煙草を踏み潰して立ち上がった。
「バスが来るまでちょっと間があるんだけど、そこの本屋でも寄っていかない、」
 彼女は、一つ年上の高校の先輩だ。
 彼女自身とは普段はあまり関わりが無いが、家が近所なので、こうして会うのも不思議なことではない。
「いいですよ」
 正直言って、俺は普段から本は読まない質だ。だが、俺には雨宿りする場所が必要だった。
 珍しい組み合わせだな、と思いながら、俺は素直に彼女に付いて近くの書店に入った。
「ここの本屋、好きなのよね。ほら、ちょっと変わってるでしょ、」
 彼女が耳元で言う。
 確かに、普段書店とは無縁の俺でも判るくらい、そこは異彩を放っていた。
 少し落とした暖色の照明に、絶えず小さく流れている60年代風のジャズ。
 それに、何の意図かは判らないが、店内の数カ所に吊るされているスケルトン模型。
 アンティークな雰囲気の店内には、これまた一風変わった書物が並べられている。
 彼女が奥のデザイン誌をぱらぱらと捲っているのを眺めながら、俺も近くの棚に整理されている本を何冊か、でたらめに取っては捲った。

 「ハッピー・バースディ」
 「感謝の言葉集」
 「ツキを掴む日」
 「今日を楽しく過ごす為の7項目」

 いわゆる、大人の絵本、と言われる類の哲学書がいくつも目に付いた。
 その中で、真っ白な表紙に小さな走り書きのような字で書かれたタイトルの本を、俺は手に取った。



 どうして僕は、あの子たちの後を付いて走っているのだろう。
 声を掛けもせず、ただ気づいてくれるのを待っているみたいに。

 少し意思表示をすれば、彼らだってすぐに振り向いて止まってくれることは、判っているのに。
 ただ、後ろから追いかける自分に、気づいてもらおうとしている。
 そして、絶対に追いつくことがないのが判って、とても寂しい気持ちになる。

 気づくと、後から付いてきていた仲間たちも、姿を消している。
 そして、僕とあの子たちとの間に信号が壁を作って、僕らの距離を一層広める。
 でも僕は同時に、ほっとしたりもする。

 どうしてだろう。




 小さな挿絵がたくさん書かれたその本は、俺にどきっとさせた。
 あどけない文章で書かれているようで、何かいつもの俺が、そこにいるような気にさせられる。



 君を信じてもいいの?
 君に付いていってもいいの?

 この道の先にあるものが何かは僕には判らない。

 それを迷わず選んで進んでいっている君に、
 僕は付いていってもいいの?




 腕時計はゆっくりと時を刻んでいた。
 それよりも、店内を彩るBGMのジャズ方が、もっと緩やかに流れていた。
 文学趣味の先輩は、全く飽きた様子もなく、次の棚のハードカバー本を手にとっていた。
 俺は、仕方がないので、本の一筋に目を落とした。



 ……ねぇ、気付いてる?



『例えば陸郎が、』
 ついこの間まで、恋人、と呼ばれる仲だったリカのことを思い出す。
『あたしの事をいっぱいいっぱい、愛してくれていたとしても、』
 俺が想いを打ち明けて、晴れて恋人同士になってから数週間が過ぎた頃、彼女は突然切り出した。
『あたしはきっとそれ以上に、陸郎の事を好きになっちゃうわ』とても不安そうな、果敢なげな顔でそう言った。『そうしたらあたしはきっと、カッコよくて女の子にもてる陸郎に、醜く嫉妬するの』彼女は、悟ったように続ける。
『それに対してあたしはと言えば、これと言って誇れるものもないし、容姿だって良くない。そんな自分に自身が持てなくて厭なの』『陸郎の隣で、醜さを曝け出すのが厭なのよ。……陸郎の価値を落とすのが、厭なの』



 勿論、俺は彼女の言った科白を全て否定した。
 折角、好きだった相手と想いが通じ合ったのに。
 ずっと側に居てほしいだけなのに。
 ただ、それだけでいいのに。
『俺は、それ以上は絶対に求めないよ。……ただ、声が聞ける距離にいるだけでいいんだ』
 でもそれでは駄目なのよ、と彼女は遠回しに言った。
 今以上は何も求めないよ。
 ありふれた平凡な毎日を、君と一緒に過ごしたいだけなんだよ。
 大勢の人に好かれる君じゃなくて、いいんだよ。

「陸ちゃん、どうしたの? ……泣いているの、」
 突然声を掛けられて、俺は慌てて顔を上げた。
 視界がぼやけている。
「大丈夫? 何かあったの」
 先輩が、顔を覗き込んでくる。
 俺は溢れそうになった泪を目に湛えたまま、手にした本を突き出した。
「先輩も、ちょっと読んでみてくださいよ」
 彼女はちらりと表紙を眺めてから、本を手にとった。
 真っ白な表紙に、手書きのような文字のタイトル。
「陸、何か辛いことでもあったの、」

 今日の自分に、「ありがとう」を言おう。
 今まで一緒にいてくれた僕に、「ありがとう」を言おう。
 何も特別なことなんて出来なくていいさ。
 僕は、僕がここにいるだけで奇跡の証。
 昨日の僕に、明日の僕に、今の僕に、「ありがとう」と感謝しよう。
「思春期のナイーヴな少年、って事で一つ」
「へぇ、意外。陸ちゃんにもそういう感傷があったんだね」
「色々と遭ったんですよ、これでも」
「色恋沙汰。不良少年っぽくてカッコつけてるもんね。ちょっと怖そうなところがお洒落なんだね。……陸ちゃんってモテルでしょ、」
「そんな事無いですよ。俺なんて、いつも振られてばっかなんですから。……ピアスホールだって、その数開いてるんです」
「ふぅん。……そういえば、あんたって十五だったよね」
 焦らなくてもいいんだよ。何事も。
 今しか見えないものだって、いっぱいあるんだからさ。
 精一杯、「今日」を生きていれば、きっと君にぴったりと合った軌跡も見つかるはずだから。





 ねぇ、気付いてる?




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