────徴兵令────





 友達だったんだろうか。
 それとも、最初からそんな関係じゃなかったのだろうか。
 どちらにしても、俺はその言葉を聞いたとき、七子とは永遠に『友達』でいたい、と切実に思った。

 七月六日。気温二十九度。湿度七十パーセント。晴天。
 その日も、ナナコはお堅い学生服に身を包んで、いつものように家の前で自転車を止めて俺を待っていた。
「おはよ。早くしないと、遅刻するよ」
 いつもと変わらない、無邪気な台詞。
 そんな彼女の顔を見て、俺はホッとした。
 家が向かい同士で、竹馬の友、とでも言うか、とにかく俺達二人はそんな仲だった。
 同じ年に生まれ、同じ場所に育ち、同じ飯を食ってきた。
 まるで双子のようね、と言われた。
 今までも、これからも、きっとナナコの方だって、このままで───いや、このままがいいと思っていた。
 三日前。
 少なくとも、俺の家に、赤紙が来るまでは。
「七月七日かぁ。とうとう、明日だね……」
 ナナコがそう切り出したのは、日の落ちる帰宅路だった。
 畦道に自転車を押して歩く彼女の頬が、夕日で紅く染まる。
 裏山から、鴉の泣き声が聞こえた。
 今まで、避けてきたんだろう。
 俺が、そのことに触れられるのを恐がっていたように。
「今日、家に行ってもいいよね。一緒に、食事がしたいの」
 先を歩いていた彼女が、振り返った。
「最後の、夜だもんね」
 どこか、ぎこちない笑顔だった。

 その夜、ナナコは本当に家に来た。
 今まで見たこともない、立派な着物を着て。
 母も、どこか緊張した面持ちで彼女を迎い入れた。
 その日の食事は、時世に会わない品ばかりだった。
「最後の夜だもの、二人で、ゆっくり語り合って頂戴ね」
 俺に気を使って、母が蒲団を敷いてくれたらしい。
 俺は寝室に入った。
 見慣れた光景。それも、今日は淋しく映る。
 部屋の中央に一枚だけぽつんと敷かれた蒲団が、俺の不安を煽った。
 障子に映る、影。
「あたし。……入ってもいい?」
 静かな、ナナコの声が聞こえた。
「どうぞ」
 まさか。
 返答しながら、俺は眼を瞑ってしまいたい焦燥にかられた。
 障子が開いて、ナナコが入って来る。
 それも、白装束を着て。
「和寿……」
 泣きそうな眼をして、ナナコは俺の名を口にした。
「判って、くれるよね?」
 俺は物も言えず、ただ彼女を凝視していた。
「あたしで、……」
 そう言いかけて口を閉ざすと、ナナコはおもむろに腰に巻いた帯を解き始めた。
「ま、待ってくれ、ナナコ」
 俺は慌てて声に出して彼女を止めた。しかし、ナナコは手を緩めることなく、堅い着物を脱ぎ去っていく。
「やめてくれ、ナナコ、お願いだから」
 俺は堅く眼を瞑って、精一杯叫んだ。
 衣類が落ちる音がして、彼女の足音が近づいて来る。
 そして足音は止まり、ナナコは俺の前で座った。
「あたし、和寿のこと、忘れたくないの」
 ナナコの揺れる声が聞こえる。
「だから……」
 俺は手を伸ばして、目の前にいる彼女をきつく抱きしめた。
 ナナコは震えていた。
 その痩せた、折れそうな程に細い肩で。
「俺は、君を今ここで未亡人にしたくない。君に不幸になってほしくない」
 ナナコの冷たい肌を抱いて、俺は叫んだ。
「そんな顔、見たくない。君を傷つけたくない。ナナコとは、ずっと友達でいたいんだ。……だから、今は、奇麗な身体でいてほしい」
 ナナコの息遣いが聞こえる。  俺は、吐き気を押さえて絞り出すように言った。
「俺達は、まだ十五なんだ。そんなこと、気にする必要ないよ……」
 耳元で、嗚咽が聞こえた。
 ナナコは泣いていた。大粒の涙を流して、泣いていた。
「明日は、七夕なのにね。……あたし達は、永遠のお別れなんだね」
 涙混じりの小さな声。
 その日、最後に聞いたナナコの言葉だった。


 七月七日、七夕様。
 それは、離れ離れになった大切な人と、年に一度だけ再会する日。
 天に望みをお願いする日。
 そして、十五年前の七子が生を受けた日。
 その日に、俺は彼女との永遠の別れを告げた。




<<「短編集」へBACK  「ものがたり」TOP