●●● ナナコ ────徴兵令──── 友達だったんだろうか。 それとも、最初からそんな関係じゃなかったのだろうか。 どちらにしても、俺はその言葉を聞いたとき、七子とは永遠に『友達』でいたい、と切実に思った。 七月六日。気温二十九度。湿度七十パーセント。晴天。 その日も、ナナコはお堅い学生服に身を包んで、いつものように家の前で自転車を止めて俺を待っていた。 「おはよ。早くしないと、遅刻するよ」 いつもと変わらない、無邪気な台詞。 そんな彼女の顔を見て、俺はホッとした。 家が向かい同士で、竹馬の友、とでも言うか、とにかく俺達二人はそんな仲だった。 同じ年に生まれ、同じ場所に育ち、同じ飯を食ってきた。 まるで双子のようね、と言われた。 今までも、これからも、きっとナナコの方だって、このままで───いや、このままがいいと思っていた。 三日前。 少なくとも、俺の家に、赤紙が来るまでは。 「七月七日かぁ。とうとう、明日だね……」 ナナコがそう切り出したのは、日の落ちる帰宅路だった。 畦道に自転車を押して歩く彼女の頬が、夕日で紅く染まる。 裏山から、鴉の泣き声が聞こえた。 今まで、避けてきたんだろう。 俺が、そのことに触れられるのを恐がっていたように。 「今日、家に行ってもいいよね。一緒に、食事がしたいの」 先を歩いていた彼女が、振り返った。 「最後の、夜だもんね」 どこか、ぎこちない笑顔だった。 その夜、ナナコは本当に家に来た。 今まで見たこともない、立派な着物を着て。 母も、どこか緊張した面持ちで彼女を迎い入れた。 その日の食事は、時世に会わない品ばかりだった。 「最後の夜だもの、二人で、ゆっくり語り合って頂戴ね」 俺に気を使って、母が蒲団を敷いてくれたらしい。 俺は寝室に入った。 見慣れた光景。それも、今日は淋しく映る。 部屋の中央に一枚だけぽつんと敷かれた蒲団が、俺の不安を煽った。 障子に映る、影。 「あたし。……入ってもいい?」 静かな、ナナコの声が聞こえた。 「どうぞ」 まさか。 返答しながら、俺は眼を瞑ってしまいたい焦燥にかられた。 障子が開いて、ナナコが入って来る。 それも、白装束を着て。 「和寿……」 泣きそうな眼をして、ナナコは俺の名を口にした。 「判って、くれるよね?」 俺は物も言えず、ただ彼女を凝視していた。 「あたしで、……」 そう言いかけて口を閉ざすと、ナナコはおもむろに腰に巻いた帯を解き始めた。 「ま、待ってくれ、ナナコ」 俺は慌てて声に出して彼女を止めた。しかし、ナナコは手を緩めることなく、堅い着物を脱ぎ去っていく。 「やめてくれ、ナナコ、お願いだから」 俺は堅く眼を瞑って、精一杯叫んだ。 衣類が落ちる音がして、彼女の足音が近づいて来る。 そして足音は止まり、ナナコは俺の前で座った。 「あたし、和寿のこと、忘れたくないの」 ナナコの揺れる声が聞こえる。 「だから……」 俺は手を伸ばして、目の前にいる彼女をきつく抱きしめた。 ナナコは震えていた。 その痩せた、折れそうな程に細い肩で。 「俺は、君を今ここで未亡人にしたくない。君に不幸になってほしくない」 ナナコの冷たい肌を抱いて、俺は叫んだ。 「そんな顔、見たくない。君を傷つけたくない。ナナコとは、ずっと友達でいたいんだ。……だから、今は、奇麗な身体でいてほしい」 ナナコの息遣いが聞こえる。 俺は、吐き気を押さえて絞り出すように言った。 「俺達は、まだ十五なんだ。そんなこと、気にする必要ないよ……」 耳元で、嗚咽が聞こえた。 ナナコは泣いていた。大粒の涙を流して、泣いていた。 「明日は、七夕なのにね。……あたし達は、永遠のお別れなんだね」 涙混じりの小さな声。 その日、最後に聞いたナナコの言葉だった。 七月七日、七夕様。 それは、離れ離れになった大切な人と、年に一度だけ再会する日。 天に望みをお願いする日。 そして、十五年前の七子が生を受けた日。 その日に、俺は彼女との永遠の別れを告げた。 |