01  流れる日常と、本当の気持ち  >> 06




「変なこと聞くけどさ」
 俺は静寂を破った。
「ナシコちゃんて、朋久の、どういう存在なの。……恋人じゃ、ないよね」
 ナシコちゃんは顔を上げた。眸は真っ直ぐに俺の眼にぶつかる。どちらかと云うと、きょとん、とした表情。然も当然のように、彼女は云った。
「違いますよ」
 予想通りの答え。の筈が、そうでないように聞こえた。俺はいくらか、朋久がナシコちゃんに嘘を吐いているのではないかと疑っていた。そんなことはないだろう、と思いつつも、朋久が二人同時に付き合おうとしているのではないかと。でもそれは、違ったようだった。何だか、取り越し苦労をしていた気分になる。けど。判らないことがある。
 まだ何かが、引っかかる。
「でも、朋久と寝てるよね」
 幾分、憚りながらも俺は確かめるようにナシコちゃんの顔を見た。ナシコちゃんは一瞬、驚いたような眸をしたが、そうですね、と頷いた。戸惑いの表情は、ない。云うべきか、云わざるべきか。俺は少し迷ったが、口に出してしまった。
「最近さ、朋久に彼女が出来たの、知ってる、」
 声が上擦ってる気がした。ナシコちゃんの顔を見るのが、怖い。
 けど、俺の不安を余所にナシコちゃんは実にあっさりと返答した。
「キョウコさん、でしたっけ」
 え、と云いそうになって慌てて、うん、と返した。ナシコちゃんは、知っていた。杏子ちゃんの存在も。朋久のことも。何か決定的に判っていたわけではないので、予想を立てていた筈もないのだが、なんだか不意討ちを喰らった気分だった。予想外の展開を自分に云い聞かせるように、うん、そっか、と胸の内で繰り返す。そして口に出した。
「俺、朋久とナシコちゃんは、いずれ付き合うものだとばかり思ってた。だから吃驚したよ。……ナシコちゃんは、朋久と付き合う気は無かったの、」
 ナシコちゃんは、瞬きをした。眸を瞑ったのかと思うほど、長い瞬きを一度だけ。
「無いですよ。タネは、友達ですから」
 トモダチ、と云う言葉は耳の奥で不自然に響いた。ナシコちゃんと朋久は、トモダチ。彼女は、偶に家に来て、泊まっていく女の子。男の家には、常に幼馴染みの同居人が隣の部屋に居て、女の子は必ず彼の部屋に挨拶に寄った。そのシチュエーションでは、確かに二人は恋人ではない気もする。それに、恋愛経験が少ない俺みたいな人種は、直ぐにセックスとコイを繋げたがる傾向にあるのかも知れないが、実際はそればかりではないことも知っている。性行為は、単なる男と女の生理現象。夜、男女が狭い部屋に閉じ込もれば、特別感情が無くても成り行きと云うものがあるだろう。それが若ければ、尚更。朋久に限って、ナシコちゃんに限って、そんなことはない。そう思いたいのは、自分に縁が無い話だったからかも知れない。ナシコちゃんの事だって、よく知っているつもりになっていたのは気の所為なのだ。実際、会ったことがあるのは、彼女が朋久に会いに家に来た日の、帰る間際の数分間だけ。その僅かな時間話したことがあるだけで、ナシコちゃんは真面目でいい子で近頃の尻の軽い女の子とは違うタイプだと判別することが出来るだろうか。それは全部、俺の贔屓目だったのだ。
「そりぁさ、朋久には彼女がいるよ。でも、ひとをすきになる感情は、悪いことじゃないと思うよ。俺は、ね」
 白状しろよ。未だ十九の癖に、大人振るな。君だけは、違うと云ってくれ。そう俺の感情は急き立てた。何に執着しているのか判らなかった。けど、否定して欲しかった。はじまりが友達としての付き合いだった所為で、すきだと云う一言が中々云えないけれど、その人に会う為に健気に家に通っている。そう云う、俺が勝手に思い描いていた大和撫子の枠を食み出ないで欲しかった。
「そうですね。でも、タネは徒の友達です。向こうだって、あたしに特別の感情なんて無いですし」
「判らないよ。若しかしたら、ナシコちゃんの事だって、すきかも知れない。良くないことだけど」
 否定したい。反撥してやりたい。けれど、今それをすることがナシコちゃんの首を締めることになるかも知れないと、思い遣る余裕は俺には無かった。ひとの感情なんて、他人には判らない。生まれたときからずっとつるんできて、同居までしていても、朋久の本当に考えてることなんて何一つ判っていない。だからこそ、可能性を見たくなるのだろうか。
「ナシコちゃんは、すきでもない男と寝れるような子じゃないって、俺は思ってる」
 意地を張っているようだった。俺は至って冷静で落ち着いた声で喋っているつもりだったが、素直にナシコちゃんの言葉を彼女の感情として理解することを拒み続けた。若し此処で、彼女が俺の思い描いた告白をしても、きっと俺にはどうすることも出来ないし、特に何も考えることは出来ない。それに、俺にとってもナシコちゃんにとっても、此処でそんな告白をして、損することはあっても、得することは一つもないだろう。けれど、引くことが出来なかった。俺は、小さな妹を見守る兄のような柔らかい表情で、ナシコちゃんの眸を見ていた。ナシコちゃんは、眸を逸らした。けれど、直ぐに思い返したように視線を戻し、俺の眸を覗き込んだ。暫しの、沈黙。そして。
「ほんとは、」
 ナシコちゃんが口を開いた。
 六月も下旬。部屋の空気は、湿気っていた。
「タネのことが、すきです」




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