身体が重い。 布団から起き上がる気力すら全く起きなかった。子宮の奥が締め付けられるように痛い。部屋の隅に転がした携帯電話のアラームが、五度目のベルを鳴らした。甲高い電子音が頭に響く。スヌーズ機能にしている所為で、十分おきにエンドレスで鳴り続けている。でも、あとワンフレーズ鳴ったら大人しくなる。アラームは一回に付き一分しか鳴らないことを知っているから。知っている所為で、止めに行くのを我慢してしまう。 鎮痛剤、飲もうかな。否、今日は休みだから我慢しときたい。薬ってのは飲みすぎて体が慣れてしまうと利かなくなるって噂があるから。 眠ってしまえば、我慢できる。気にならなくなる。だから、あと少し。もう少しだけ。 そう思ったところでオルゴール音が鳴り始めた。強制的に目覚めさそうというさっきまでとは明らかに違う、優しい音色。 「……おはよう」 電話の着信だった。出来るだけ、辛そうな声を出す。でもそれとは裏腹に、起き上がった途端、嘘のように腹痛は消えてしまった。 「もしかして、今起きたの、」 少々、動揺したような声が聞こえた。いちばん、聞きたくなかった声。 「ごめんね。生理痛が、酷くて」 「そうなの。大丈夫、」 ダイジョウブ、の問いかけに軽く苛立ちを覚えた。そのダイジョウブは「身体の調子は大丈夫」なのか「今日のデートに来ることは大丈夫」なのか。 待ち合わせの時間を経過しても連絡すら寄越さず、未だスッピンに部屋着で布団の上にいるというのに、我ながら随分勝手な考えが浮かぶもんだ。 「ごめんね。痛くて、動く気力が起きなかったから。落ち着いたら連絡しようと思ってたの」 「そう。じゃあ、今日は会うの、止めておこうか」 「大丈夫、だいぶマシになったから。一時間後にしてもらってもいいかな」 わかった、という声と共に電話は切れた。安堵した声。彼に、怒った様子はない。 まるで必死に言い訳しているみたいだった。今日が生理なのは確かだったけど、もう六日目。昨日まではなんとも無かったのに、終わりかけの今日が一番酷いだなんて。でもあたしは医者でも看護師でもない。ホルモンバランスだとか、身体の変調になんていち早く気付ける性質じゃないから、本当のところは判らない。けど、誰に言われなくても、精神的なものから来ているんじゃないかと感じていた。子供の頃、遠足の日の前日はわくわくして眠れなかったという、あれ。 あたしは今日の土曜日が来ることを、煩わしく感じていたから。 約束なんてしなくても、習慣付いてしまうことがある。土日休みのあたしの勤務に、彼のシフトパターンが重なった日は、二人で出掛けるということ。 休みが重なれば彼はラッキーだと感じているみたいだが、あたしはそうは思えなかった。だってあたしは彼の不定期で変動性の高いシフトパターンを把握できない。あたしの休みは決まっているから、彼自身は頭の中で勝手に計画を立てているんだろうけれど。こちらは休みが確定した数日前から前日にかけてメール一本で「休み、明日になったんだけど。どこへ行こうか」と言われるだけ。当然のように。それでいいと思っている。落ち着かない。土曜日は一週間分の洗濯物が溜まってるんだから朝は家事をしたいし、休みの日くらい寝坊したい。それから来週分のお弁当のおかずだって買いに行きたいし、踵が経たったパンプスの修理にだって行きたかった。 それに本当は、恋人とのデートに備えて、美容ケアだってやりたいのだ。念入りな無駄毛処理はもちろん、普段は面倒臭くてなかなかやらないフェイスパックや美顔マッサージだってある。それらが気休めだってことくらい、判ってる。こんなことやったくらいで、元々美人でない顔がいきなりモデル顔になるわけはないし、無駄毛処理ですら、服に隠れてしまう部分なんて、結局脱いでも部屋は暗いんだから見られることはない。 要は気分の問題なのだ。その日に向けて、自分の体調のコンディションと、気持ちのテンションを上げるという、いわば儀式のようなものなのだ。 でもそんなこと、彼には言えない。 言ったらきっと、そんなの俺の居ない日にすればいいじゃん。って言うんだろうから。それに、口に出さなくても自分の存在と家事炊事を愛情の天秤に掛けるだろう。 時間がないのは承知だったが、せめてもの気持ちでシャワーを浴びる。朝、身体を流すと一日の流れが変わる気がした。髪を乾かしながら服を選び、コットンに化粧水を落とす。 外は晴れ。お出掛け日和。 ぜんぶあたしが悪いのよ。そう、全部あたしが悪いことになれば、気楽にデートができるでしょ。 |
|||
<<back | ◎ | next>> | |||
この世界の片隅で (C)2011 SAWAMURA YOHKO |