1.ママゴトカップルの不毛なセックス -(3)


 はじまりがどんなだったか、今でもはっきり覚えてる。
 その日は入社二年目社員に行われる若年層フォロー研修で、滋賀県米原市のセンターに来ていた。そこそこ名の知れた建設会社の子会社に勤めているもんで、全国にあるいくつかの営業所や系列会社が参加している。普段自分の所属している課内に同期入社の社員がいないあたしは、集まった同期たちのあまりの人数に軽く面食らってしまった。五十人、否、七十人近くいたかもしれない。場所は携帯電話の電波も届かない山奥で、研修の内容はというとお偉いさんの話を聞いたり、今の仕事に全く関係のないようなテーマでのディスカッションをしたり。こんなことを寝泊りして二日も続けなきゃならない。確かに、普段の仕事では得られない感性は磨かれたような気もするし、社員としての覇気向上にも一役買っているのは認めるが、研修の終わる夕方にはどっと気疲れしてしまった。何せ、あたしには見知った人間はひとりもいない。同じ建設会社の集まりとはいえ、職種も様々。方言も違う。名札を付けさせられているとはいえ、みんな似たようなスーツ姿。物覚えの悪いあたしは名前を覚えるもの苦労した。
 そして、夜になればお決まりの懇親会。お酒を飲んで、楽になれる性質だったら良かったのに。残念ながら、煙草は吸ってもお酒はあまり得意じゃなかった。あたしが普段飲むのはもっぱらワインか果実酒の類。いくら最近の若者が酒離れしているとはいえ、男性の比率が七割以上のこの場所でビール以外を堂々と注文できる度胸はあたしにはまだ無かった。アルコールが回ってくると、周囲は意外にも合コンのようなノリになってくる。この男女比率の差じゃ、流石にそんなことは無いだろうと思っていたのに。同じ研修班になったからとか、東京の支店の話を聞きたいだとか、広島はやっぱり厳つい上司が多いのだとか。そんな他愛もない会話の中に、社会人必須アイテムである名刺交換を滑り込ませる。そして巧みに携帯電話の連絡先の交換を迫ってくるのだ。
 別に、男性同士でも普通に行われている光景だった。でも、ここで会った人たちとは、基本的に二度と関わることは無い。そんなこと判りきっているはずなのに、連絡先の交換をするなんてナンセンスだと思った。学生じゃあるまいし。本当に用があるなら、社内メールで充分だ。
 そんなことを考えていると突然、背後から名前を呼ばれた。少し驚いて振り返ると、視線が違和感無くぶつかる。軽く日焼けした肌に、高校球児のように短く刈り上げた頭髪。立食式の宴会であまり身長の無い私と近い視線ということは、彼は恐らく一六五センチ程度なんだろうな、と思った。
「お酒、あんま飲んでないでしょ。もしかして、飲めないの」
 いきなり旧知の仲のような態度で喋りかけられて、耳を疑った。基本的に同期の集まりだと判っているため砕けた言葉遣いで話す光景は見られたが、初めて話す人間とは皆多少丁寧に切り出すのが通例だ。この男は一体何なのだ。そう思って視線を落とすと、彼の手にしたグラスは空だった。瓶ビール用のコップ。これを持っていると、歩く度に誰かに次々と注がれてしまう。きっと彼は、この時点で相当飲んでいたはずだ。
 ええ、まぁ。と避け気味で返事する。ふーん、意外だな、飲める方だと思ってたのに、と彼は言った。初対面の癖に、顔で判断したのだろうか。失礼な男だ。
「何でそんな風に思ったの」
 丁寧な言葉を選ぶ気にもなれず、同じノリで言葉を返す。心の内では、早く別のテーブルに行ってくれないかな、隣のテーブルには女性が結構居るんだから、こっちに長居しないでよ、とそんなことばかり考えていると、彼の口から意外な言葉が飛び出した。
「仕事以外で話すの、初めてだね」
 え。そう言って、思わず眉を顰める。彼は、不快な表情など一切見せず、笑って返した。
「あ、誰、って顔してる。俺、同じ中部支店なんだけどなぁ」
 酔ってる所為か、知らない人間のくせに馴れ馴れしい。が、言われてみれば見知った顔の気もした。ちらっと左胸の名札に眼を落とす。確かに、うちの会社名が書かれていた。日本中でよく聞く響きの名前も、業務中の書面でたまに目にする。
 あぁ、工事課の。と返した。これまで、ろくに喋ったことも無かったけれど。
 出逢いなんて、何処に転がっているか判らないものだ。当初、この第一印象が良い方ではなかった人とその後なし崩し的に付き合うことになるだなんて、思っても見なかったのだから。



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