「今日の夕飯、何作ろうか」 定番になりつつある話題が、どちらからとも無く提供される。毎週末ではないにしても、月に何度も外食をしていてはお金が勿体無い、という話にいつしかなり、夕食はどちらかの家で食べることが習慣になった。 調理は基本的にふたり一緒にした。狭いキッチンでたまに肘でも触れ合いながら恋人と一緒に料理をする。それがあたしの憧れの構図だと以前話した所為かもしれない。彼は嫌がる素振りも見せず、慣れない手つきで包丁を握ってくれた。危なっかしい手つきで野菜を切る手に、横から手を添えてあげる。そういう触れ合いが、彼との付き合いの中で一番の楽しみだったかもしれない。それがいつしか、彼の趣味が料理だと言えるくらいの腕前になるとは思ってなかった。 調理の主担当は必然的にその家の主となっていった。自分の家の方が使い勝手を判っているのだから、自然な流れだったんだろう。今では、彼の部屋に行ったときは主に彼が調理をし、あたしは皿を並べたり米を研いだりする程度だ。確かに、その方が効率はよかった。狭いアパートのキッチンで大人ふたりが並んで調理をしていては、正直邪魔になって作業が捗らない。お腹を空かして家に帰ってから食事にありつくまでの時間は出来るだけ短い方がいい。出来上がったご飯を頬張りながら映画でも観て寛ぐ時間を少しでも長く取りたいというのは当たり前だ。 「ハンバーグが食べたいな。あの、いつものパイン・ハンバーグ」 缶詰のパイナップルを混ぜ込んで作るハンバーグは彼の創作料理。これをリクエストしたということは、つまりはどちらの家に行くのかも必然的に決まってくる。 「いいよ。じゃあ今日も俺ん家ってことね」 「うん。だってあたしの部屋、足の踏み場ないもん」 ちょっと甘えた声で答えてみる。こんなところで可愛い子ぶっても、その言葉の意味はただのズボラな私生活をばらしているだけだと知っているけれど。でも、せめて開き直りたくはない。何でも言い合えるくらいの長い期間付き合っていて、平気でデートに遅刻するようになってしまっても、ぎりぎりの所で自分の体裁は守っていたかった。 彼の住む家はあたしのアパートから五駅しか離れていない場所にあった。終電の時間も割りと遅く、急がなくてもゆっくりする時間はあったのだが、あたしたちはカフェを早々に切り上げて家路へと急いだ。理由は簡単。自炊はレストランと違って食にありつくまでに時間が掛かる。何より、食材の買出しに必須の家の近所のスーパーが開いている時間内に行かなければならない。 改札を通過すると、階段の上のホームでざわつきが聞こえてきた。乗客が乗り降りする音。電車が到着している。 「急ごう」 彼があたしの手を取り走りだした。人込みを掻き分けて、先の見えない階段を駆け上がる。何だか、わくわくする。子供みたいだけど。でもあたしは、こういう感覚はけっこうすき。 飛び乗った瞬間、電車のドアが閉まった。車内は割りとすいていた。座席もぽつぽつと空きがある。目の前にいた年配の女性が、眉を寄せてあたしたちを見ていた。いい年をした大人ふたりが手を繋いで駆け込み乗車だなんて、傍から見たらきっと恰好悪い。でも、そんなに大きな迷惑は掛けてないでしょ。そこには、ふたりだけの時間があるように感じるの。それは、駅からスーパーや家までの間を二人乗りするママチャリも同じ。車でお迎え、が当たり前の年代になっても、敢えてそういう中学生のカップルみたいなことがしたいの。そうしている時間が、なんだか一番ピュアで純粋に楽しいって思えるから。 一緒にスーパーで食材を選び、急いで家の玄関を開けた。ここからはいつもの役割分担。あたしは米を研ぎ、彼はパイナップルを刻んでミンチに混ぜる。スーパーで一緒に食材選びをする辺りまでが一番楽しいな。とあたしは思いながら、炊飯器を早炊きにセットした。だって、男女ふたりが野菜コーナーで何入れる、どれにする、と言い合う姿は、家族を連想させる。アイスやお酒やスナック菓子の付近でうろつく若いカップルとは違う。周りから見ると、あの夫婦は今晩のメニューをカレーライスにするんだな、とか勝手に思い浮かべながら眺めてしまう所為かもしれない。その妄想は必ず「夫婦」となるのだから不思議だ。 彼が捏ねた肉を焼く傍ら、キッチンの水屋から皿を出してサラダを盛り付け、皿の縁にチーズを添えた。少しだけ、お酒も買っている。洗い物が増えるのは出来るだけ避けたいのだが、缶のまま飲むのでは味気ない。食器棚にしているラックから、対になったガラスのコップを選んで二つ取り、テーブルに並べた。 「いいじゃん」 テーブルのディスプレイを見て彼が言う。フライパンの上でハンバーグが焼ける音がする。いい匂い。 お皿持ってきて、と言われたので大皿を持っていくと、彼は焼きあがったハンバーグを乗せて上からデミグラスソースのようなものを掛けた。 「何、これ」 「バレエシューズ田中の特製ソース」 彼は最近料理本を出したお笑い芸人の名前を挙げた。香ばしいかおりがする。いい匂いの正体はこれだったようだ。そういえば前回のデートのとき、書店の店頭に平積みされているこの芸人の本を見て、田中に出来るんなら俺でも出来るでしょ、なんて言っていた気がする。 「あの本、買ったんだ」 「うん。でも今日はじめて作ったから、味は保障出来ないよ」 「でも美味しそう。いい匂いだし」 感動をそのまま口にした。彼は謙遜しながらも、満更でもない様子で微笑んでいる。 男の人は、やり始めると案外凝るものだと思う。料理でもバイクでも同じだ。あたしやあたしの友人の女の子たちは、創作料理を考案したり、ある程度作れる腕があるのにわざわざ料理本を買ったりはしない。並で満足してしまう。男の子は、今よりもっといいものを、今よりもっと上を目指す。もしかしたらそこが、女と男の違いなのかもしれない。 いい匂いにいい味は比例するようだった。特製ソースは文句無い美味しさで、パイン・ハンバーグの甘味にマッチしている。敵わないかもしれない。と、ふと思った。お互い同じ年数一人暮らしをしているけれど、普段大して自炊もせず腕も磨こうとしていないあたしは、もうとっくに彼に追い抜かされているんじゃないかと思う。彼に、料理を教えたのはあたしの方なのに。 テレビは下らないバラエティー番組がだらだらと流れていて、終わる様子は無い。特に観るわけでもなく流しながら食事をし、食べ終わった食器を流しに運ぶ。あたしは後片付けをする。調理をしたのは殆ど彼なんだから、せめてこれくらいはやらなきゃ、という気持ちに駆られる。 押入れから黒のスウェットとボクサーパンツを取り出した彼が、それを持ってバスルームへ移動した。シャワーでバスタブを流す音が聞こえる。暫くしてそれが止むと、彼は部屋へ戻ってきた。手には、ラベンダー色と桜色の丸いボールが乗っている。 「どっちがいい、」 手の平に収まるゴルフボール大のそれは、入浴剤だった。 一瞬、答えに迷った。入浴剤の香りにではない。これは要するに、一緒にお風呂に入ろう、入るよね、という言葉と同じだ。 あたし、今朝生理痛で、って話したよね。この人はそれを完全に忘れて誘っている訳だよね。そういう思いが脳裏に渦巻く。先週はデートをしてなかったわけだから、二週間ぶりに会う彼があたしの生理周期を把握しているわけは無い。つまり、今日が何日目かなんて、知らないはずだ。だからこれは、最終日でお風呂くらいわけなく入れることを知ってての発言ではない。 「こっちかな」 ラベンダーの方を指した。答えるまでの少しの間は、お湯の香りに迷ったと取られてお仕舞いなんだろう。 別に、デートは毎週しているわけではない。休みが重なった週末だけ。平均すると、月に三回程度だ。その少ないとも思えるデートの日に、恋人同士としてのスキンシップを極端に避ける理由は無い。否、避けるわけにも行かない。 そんな風に思った。 |
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