1.ママゴトカップルの不毛なセックス -(6)


 裸になるのは嫌いではない。
 初めのうちは、灯りを落としたベッドの上ならまだしも、煌々と明るいバスルームでお互いの身体を見るのは恥ずかしいと感じていた。でも、お湯という媒体を通して触れる肌は、本当の素肌とはまた違って一枚の薄い膜を通して触れているようで、生身の肌よりも抵抗無く触れ合うことが出来る気がした。
 それに、バスタブの中は狭い。ふたりで入って密着しないで居られるほど離れることは不可能だ。だから、違和感無く肌と肌が触れる。彼の膝の間に身体を納める。回した彼の手が、膝を抱えようとしたあたしの胸に触る。事故を装って。お尻に、硬いモノが当たる。それを知ってて、あたしはもう少しだけ身体を彼に寄せて、全体重を預ける。
 彼があたしの名を呼ぶ。甘ったるい声で、わざとらしく「ちゃん」付けをして。こういうときは、決まっておねだりがあるときだ。
「こっち向いて、顔をよく見せてよ」
「ヤダ。すっぴんなんだから、あんまりまじまじと見ないで」
「そんなこと言わずにさ。こっち向いてよ、ボクのお姫様」
 普段は言わない甘い言葉。本当は、顔を見るために言っている訳じゃないのは知っている。狭いバスタブの中でお互いが向かい合おうとすれば、つまりはそういう体勢になるってこと。彼は、わざとあたしが自ら上に跨るように持っていこうとしてるのだ。
「ヒメ、お願い」
 聞こえたか聞こえなかったか判らないような、小さな声。
 ウィスパーボイスにあたしは弱い。耳元で囁かれると、身体がぞくっとする。あぁ、だから電話の声は案外すきなのかもしれない。そんなことを思いながら、お湯の中でゆっくりと身体を捻った。小さな水音。ふわっと、ラベンダーの香りが弾ける。
「もっとこっちにおいでよ」
 バスタブの中。背中を縁に張り付けて、ヘリに凭れている彼から一番遠い位置で膝を付いた。ぎりぎり、互いの膝と膝が重なる位置。
「ほら、おいで。キスがしたい」
 伸びてきた手が、あたしの腕を捕らえる。そして、抱き寄せるようにふわりと身体を持ち上げた。両脚が、彼の膝に当たって広げられる。お湯の中の身体は重力を失っていて、抵抗する間もなくいとも簡単に引き寄せられてしまう。お湯の中を彷徨うあたしの脚は、バスタブの壁と、彼の腰の間に出来た隙間に膝から着地して。折り畳まれた脚は、中腰のような体勢になった。彼があたしを見上げる。
「届かないよ。もっとこっちに来て」
 お互いの身体はもう密着した状態だった。これ以上腰を降ろせば、硬くなった彼の上に沈みこんでしまう。
「あ、」
 声が漏れた。彼が、あたしの肩を掴んで跪かせたからだ。膜のように感じていたお湯は何の抵抗も示すことなくすんなりとすり抜け、あたしは彼の上に跨っていた。身体の内側で、彼の鼓動を感じる。膣の中に、彼のモノが入ってしまっている。ぜんぶ。
「うそつき」
 言うが早いか、その口を唇が塞いだ。あたしが離そうとしても、離してくれない。きつく力を入れた腕で頭と背中を抱き寄せて、離れられないようにしている。
 舌が、僅かに抵抗していた歯をこじ開けて。無理矢理にでも中に入ってこようとする。あたしの舌を転がす。熱い吐息が口の周りを覆う。口や、顎、そして鼻に当たり、圧迫感で息が出来なくなるような錯覚を起こす。咽るような仕草をして、やっと彼は唇を放したくれた。
「キスも、したよ」
 少し乱れた呼吸を整えながら、彼は言った。下半身は、繋がったままで。それをかわそうと、もぞもぞと動いて身体を持ち上げよとしたら、彼が再び身体をきつく掴んで抱き寄せた。反動で、抜け掛かっていた膣が再び深く彼を咥え込む。それはちょうど、ピストン運動に似ている。声にならない声が漏れた。音はバスルームで拡張されて、頭の後ろから響いて聞こえてくる。自分の声じゃないみたいだった。それはまるで、アダルトビデオの中の女優の声。あんな声音、現実じゃ絶対出さないだろうと思っていたのに。それが自分の口から漏れているなんて滑稽だ。
 彼の腕が、あたしを持ち上げては放そうとする。今の動きを連続させて、刺激を得ようとしている。お湯の中じゃあたしの体重なんて無いも同然で、それは容易く実現できてしまうのだ。
「やだ、待って、」
 必死で抵抗することは出来ず、少し余裕のある声になった。演技している風にも見える。彼の腕がそれ以上動かないように、押さえつけるようにバスタブのヘリを掴んで身体を沈みこませる。深く、深く。互いの繋がった場所が、判らなくなるくらいに、深く。
「何で、ダメなの、」
 相変わらずの甘い声で彼は問う。何で、って。決まってるでしょ。何で気付かないのよ。本当はそう言いたかったが、言えない。あたしは臆病。この、甘いムードを壊す勇気が出ないの。そんなことじゃ、ダメだって判ってるのに。
 彼の手が伸びてきて、あたしの胸を掴んだ。上に乗っているあたしを上目遣いに見て、ねぇ何で、と悪戯に問う。両手で胸を包み込んで、ゆるゆると揺さぶる。
 あたしは、彼がゴムを付けていないことが気になっていた。彼は、出してないから大丈夫、と思っている。けど、避妊具も無しに挿入してしまったら、受精する可能性はゼロとはいえなくなるのだ。
 呼吸が、少しだけ荒くなる。無意識の内に、腰が緩やかに揺れている。彼は手の平で、あたしの胸を押し上げる。そう。揉んでいるつもりなのかもしれないけれど、あたしには押し上げられているように感じた。満員電車に乗り合わせた際、ドアに身体を押し付けられたときの感覚と似ているかも知れない。ぎりぎり痛くは無いのだけれど、全く気持ちよくも無い。彼があたしに触れる手は、指先は、いつもこんな感じなのだ。お湯が揺れて、淡い紫色の入浴剤の香りが鼻先を掠める。
 ふと、ラベンダーの香りは心のバランスを整えるものだと思い出した。怒りや、不安や、緊張を、払う作用があるという。
 大丈夫だよね。今日は生理最終日なんだもん。排卵日には程遠いはずだし、きっと大丈夫。
 お湯で、皮膚がそのうちふやけ出すだろう。あたしたちはずっと繋がったままで、緩やかな振動を起こして、肌は小さく擦れ合う。
 押さえるつもりでバスタブのヘリを掴んだ手は、いま力を込めると逆効果になる。それが判っているのに、力を緩めることが出来ない。理性より欲望が勝つっていうのは、こういうことを言うんだろう。お湯の所為で激しく動けない分、スローペースで揺れる彼の腰遣いが普段よりはずっと心地いい。
 あたしは彼の額に口づける。とりあえず今は、もう何も考えない。理性も、欲望も、愛情も、この先の未来も。あたしはこの人の恋人で、この人はあたしの彼氏。その、事実だけで充分。ぜんぶ、納得がいく。
 お湯の中は全てが軽くなった。体重も、気持ちも、口を突いて出る言葉も、すべて。



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