あ ま や ど り

〔参・獣道逃亡〕



 空の明かりが萎えてくる。
 頃は、宵の口。
「もう一寸、休んでいったほうが良いぜ、ホントは……」
 小屋の前に、岩丸とキュウが立っていた。
 岩丸は、重装備な甲冑こそ点けてないものの、長脇差を腰に落とし、多少の身形は整えている。
 しかし、片腕には長めの竹竿を土について、なんとか立っている状態だった。
「いや、あれから日が暮れてなかったのなら、まだ追いつくやもしれません。……それに、一人暮しの若い娘さんの家に、これ以上厄介になるわけにもいきやせんしね」
 そう云って、岩丸は娘に微笑んで見せる。
 キュウはそれを見て、肩を竦めた。
「それじゃあ、達者で」
 山街道を行く岩丸は、振り返り、僅かに手を上げて叫ぶ。
 その反動で竹の調子を崩した岩丸は、よろけながら、慌てて体制を立て直した。
 遠ざかったキュウの姿は、既にその場にはなかった。
 だが、岩丸は振り返ることもなく、先を行ったと思われる、見えない仲間の後を追って、路を急いだ。
 やがて山道に姿を消していく岩丸の背の小屋は、静かだった。
 時折、痛めた脚に捕われてふらつく岩丸の頭上の樹の影で、腰に小太刀を二本落とした人影が動いた。
「あの頼りない身体で、出ていかれてもなぁ……」
 ……俺が助けた意味がなくなるじゃん。
 キュウが、小さく呟いた。


 獣道を、人影が動いていた。
 童が、倒れている初老の男を引き摺るようにして進んでいる。進んでいる、といっても、四つ程度の小さな童の脚だ。まして、肩には大の大人が担がれている。
 二人が通った後には、道標のように血痕が残されていた。
 男の息は上がっていた。
 勿論、童も息を切らせている。
「梅千代様、無理をなさらないでください。私は……」
「頑張ってくれ、三浦。……独りにしないでくれ」
 童は額に汗を浮かべながら、一歩ずつ土を踏んだ。
 先は見えない。
 身形の良かった二人の衣服は、泥に塗れ、当初と比べると見る影もなかった。
 と、その時。
 踏み出した童の足元に、何かが突き刺さった。
 クナイだ。
 童は眼を剥いて立ち止まる。
 肩の男は、口を曲げて眉を顰めた。
「野崎の信好公のご子息とお身請けする」
 脇の藪から、声が聞こえた。
「私は、金田の士、吉村岩丸。その首、頂戴いたす」
 二人の行く先に、一人の武士が現れた。
 年の頃、三十路前後。身丈五尺八分程。
 額には刀による古傷がある。
 童が、眉を寄せ、眼を細めた。
 瞬間。
 刃の閃きが、目蓋を掠める。
 しかし、暫くしても痛みは襲ってこない。
 童が、恐る恐る眼を開けると、眼前に肩に担いでいた男が倒れていた。
「三浦っ」
 童が、眼を剥いて立ち竦む。
「ちっ、」
 ……あの武士、くたばってなかったのか。
 岩丸は舌打ちをして、もう一度刀を構え直した。
「覚悟ッ」
 再度叫び、刃を横降りにする。
 瞬間、腰の抜けた童は土に尻餅を付き、刃を避けた。
 だが、掠めた前髪が僅かに散り、額にうっすらと紅の線が滲む。
「う……っ」
 僅かに声を漏らした。眸には、自然に雫が溜まる。
 しかし、岩丸はその上に容赦なく刀を振り下ろした。
 突如。
 飛礫が切っ先で弾けた。
 刃先が逸れて、刀は宙を斬る。
「待て」
 少しざらついた、声。
 紅の単衣に、露草の簪。
 腰に二本の小太刀を落としたキュウが、岩丸の背後に立っていた。

(C) SAWAMURA HARU 2002.01.25 

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